70_バス紀行

2020/07/24

川辺川ダムに沈む予定の五木村頭地を走る産交バス

 線路端のその先へ、今回は熊本県五木村を走る産交バスです。

 川辺川ダムの準備が進んでいた2003年に、ダム湖に沈む予定だった五木村の旧頭地集落を訪れてきました。

 ダムに沈む予定地への訪問は、宮ヶ瀬ダム八ッ場ダムに次いで3箇所目でした。どこもかつての集落は空き地となってわずかに残った施設が哀愁を漂わせていました。限界集落などと違ってダム湖に沈むまでの一時的特異な光景でしたが、建設までの経緯を知ってからじっくりと訪れてみたかった気がします。

 今月2020年7月の豪雨で下流の球磨川が氾濫し、人吉や肥薩線には大きな被害が発生しました。ダム工事を最後まで進めておけば良かったのか、やはり身の丈を越える公共事業と借金は控えて清流と自然を守るべきなのか、全国各地に通じる論点は簡単には判断できそうにありません・・・。

※関連記事 今は八ッ場ダムの底、川原湯温泉駅最終日

 

 

 

▼熊本から大通峠経由で五木村に入った。産交バス「五木役場前」バス停にて、といっても役場は2002年に移転済みだった。緑鮮やかな山々のふもとでは昔からの集落の解体が進んで、土が露わになった光景に心が痛む。
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▼産交バス「頭地」バス停前にて。集落の背後ではダム湖に沈む高さまで木々の伐採が進んでいて、もはや後戻りできない段階かと思われた。この「早田商店」は代替地でご健在のようだ。
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▼木造校舎が残っていた五木東小学校。戦前からの建物で熊本県では最も古かったという。見た目は落ち着くが使う方々は大変だったろう。この年に高台の代替地に移転した。
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▼川辺川に架かる県道25号線の頭地橋。山里の落ち着いた光景は激変し、現在は背後に巨大な頭地大橋が架かったらしい。
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▼清らかな川辺川の流れ。まさかその後ダム建設が中止になるとは予想もしなかった。まずは良かった、と思っていたのだが・・・。
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撮影地 熊本県球磨郡五木村頭地

 

 

 

▼空き地だらけの頭地集落を産交バスがゆく。当時「頭地」バス停からの産交バス発車本数は、人吉産交 9本、内谷 2本、上荒地 2本、宮園 3本だった(平日ダイヤ)。今は頭地から奥へ行く産交バスは廃止されたらしい。
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▼頭地代替地に上がってみると、住みやすそうな広い道路と宅地エリアになっていた。よそ者が勝手なことを言ってもはじまらないが、自然発生的な古い集落の趣はなくなってしまった。。
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▼さらば五木村の旧頭地集落。
Googleストリートビューによると、現在旧集落は跡形もなくなったようだ。ダム湖に沈めば普段は忘れることもできようが、変わり果てた集落跡地が毎日見えてしまうとは、どんな思いになるのだろう・・・。
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△カメラ FUJIFILM FinePix4500
△紀行日 2003/5/3(土)

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《2020/11/21追記》 川辺川ダム建設を撤回した熊本県知事が、案の定今度は建設容認に転じるそうです。全てを覚悟して「ダムによらない治水」を目指したのかと思っていました。
 温暖化だ異常気象だといって、日本中をコンクリート化したらこの国は破産しないかと心配です。簡単ではありませんがむしろ環境に配慮した社会に変えて、温暖化を食い止めることが根本策なのではないでしょうか・・・。

 

 

 

 

 

2020/03/21

大船渡線盛駅はBRTバスが線路跡に乗入れ

 とうとう大船渡線BRT区間が、来月から鉄道事業としては廃止されます。

 今後もバスの運行には変更ないようですが、地図からは鉄道の記号が消えるのでしょう。一方で昨日三陸鉄道は再び全通したというのに、本当に寂しい限りです・・・。

 震災後初めて2014年に三陸を北上したのですが、気仙沼駅と盛駅に鉄道&バスが出入りする駅構内は何とも興味深いものでした。むしろ今迄なんで鉄道とバスの連絡はこうならなかったのだろうと。

 今後は名実ともに鉄道ではなくなりますが、各地で見られたバス化による衰退の道をたどらないよう祈るばかりです。

※関連記事 添田駅はBRT乗り換え駅に 新潟交通廃線跡を歩く 盛岡発宮古行き最終列車 全通を待つ 磯鶏~宮古

 

 

 

▼気仙沼から大船渡線BRTで盛へ到着。息をのむ光景があり、変化に富んだBRT区間だった。
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▼盛駅も変わっていた。対向式ホームの線路は埋められ、終端にはバス折り返し場が設けられた。
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▼線路がない跨線橋を見てしまうと、跨線橋というのは線路あってこその施設だと改めて感じる。
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▼まだ籍は鉄道だから、鉄道と同様な乗り場案内。意欲的な設備投資は、バス路線になっても続いてほしい。
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▼かつて列車が発着した2番線に、BRTバスが発着。三陸鉄道は線路のまま。当然跨線橋を渡る人はいない。
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▼大船渡線BRTバスが盛駅を発車。隣の三陸鉄道からつながっていた線路と信号は失われた。機能的には便数も増えているしこの地区にはバスの方が適しているかもしれないのに、個人的には興味の度合いが全く違ってくるのが不思議だ。「なぜ鉄道に興味をもつのか、そこに線路があるから」を改めて感じさせるシーン。
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▼盛駅の窓口は残っていた。大船渡線が普通のバス路線になったあと、三陸鉄道の駅舎になってほしいと思う。
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撮影地 岩手県大船渡市盛町内ノ目

 

 

 

▼三陸の線路は残念ながら永遠に途切れてしまう。かつて三陸を縦断した「リアス・シーライナー」号に乗れなかったのが悔やまれる。。
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△カメラ Canon EOS Kiss X3
△レンズ EF-S15-85mm f/3.5-5.6 IS USM
△紀行日 2014/8/14(水)

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