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2025/09/21

幌加内駅は線路脇の木が育ち復元レールと駅名標はわびしい《深名線廃止30周年駅巡り10》

 思い出お~い深名線、廃止から30年たった各駅を訪れました。

 かつての主要駅は、とうとう駅前食堂が店を閉じ、中心地としての役割を完全に終えていました。

 シリーズ10回目は、幌加内駅です。

 

 

 

▼幌加内駅跡には駅名標がイメージ復元されていて、強い印象を発している。
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撮影地 北海道雨竜郡幌加内町幌加内

 

 

 

▼レールもイメージ復元されている。ただ、鉄路に愛着がある者にとっては、現役時代と違う向きに敷かれているのが、なんとも残念。駅前通りは、空き地が増える一方のようで、一番ショックだったのは駅前にあった食堂が営業を終えていたことだった。
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▼世代が移り変わり人々の記憶から去ったとしても、いつまでもJR深名線の名が残りますように。幌加内では、近くのバスターミナル2F「JR深名線資料展示室」で、当時の充実した記録が見られるのがありがたい。
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▼深川方面をみる。たしか深川方ホームのはずれにあった木が、ずいぶんと大きくなっている。
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▼名寄方面をみる。駅構内を貫通して町道が通され、この木以外に当時の位置関係がわかるものは無くなっている様子。
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▼駅前広場から駅跡をみる。何もない多度志ほどではないが、幌加内にはJRバス深名線「深川営業所幌加内車庫」があるのみ。「幌加内」バス停はターミナルに移ってしまい、ここにはない。
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▼主要駅だった幌加内に、当時のまま残る施設は見られない。ホーム跡ではない地点に立てられた駅名標だが、字体は本物っぽいのがせめてものなぐさめか。これさえも年季が入ってきた。
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△カメラ Canon EOS KissX10
△レンズ EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS USM
△紀行日 2025/8/13(水)

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▽Webサイト 線路端紀行

 

※深名線駅跡めぐりシリーズ

2020年/廃止25周年
 (1)深川~鷹泊
 (2)沼牛~添牛内 
 (3)共栄~名寄

2025年/廃止30周年
 (1)円山駅
 (2)上多度志駅
 (3)多度志駅
 (4)宇摩駅
 (5)幌成駅
 (6)下幌成駅
 (7)鷹泊駅

 (8)沼牛駅
 (9)新成生駅
(10)幌加内駅
(11)上幌加内駅
(12)雨煙別駅
(13)政和温泉駅
(14)政和駅
(15)新富駅
(16)添牛内駅
(17)共栄駅
(18)朱鞠内駅
(19)湖畔駅
(20)蕗ノ台駅
(21)白樺駅
(22)北母子里駅

(23)天塩弥生駅
(24)西名寄駅

鉄道貨物コンテナのある風景
沼牛
母子里

 

 

 

 

 

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11_北海道」カテゴリの記事

コメント

30年ともなるといろいろなものがなくなるもんですね。でもまだ残っている方かな。

抜けるような青空は気持ち良く、こんな世界の中に列車が走っていたのは素晴らしい日常でした。

列車が走っていた思い出は永遠に、この大地に残るに違いありません。

★イチロ―さん
過ぎるとあっという間の30年、ひと世代分ですからねぇ、変わりますね。

★汽車空間さん
構内跡に、石碑「幌加内駅跡」が残るのはいいのですが、なんだかお墓みたいで…。

かといって、抜海のように「百周年記念之碑」が駅ではない所に残るのも、???ですし…。

こんばんは。
幌加内まで拝見しました。
30年という時間は、ここまで鉄路の痕跡を消してしまうのですね。
JR北海道や沿線の自治体がきちんと廃線後の後片付けをしたということでもあるのでしょうが、在りし日の断片的な記憶だけではもう、今の風景とのつながりを感じられませんでした。
北海道内の各地に点在するローカル線の記憶、もう風化寸前なのかもしれません。

★風旅記さん
深名線は、幸い現役時代と廃止後に何回も行くことが出来まして、今は痕跡無くとも幻で過去の記憶が見えているのかもしれません…。

ただ普通は忘れる一方ですから、地元でも鉄路の記憶を風化させたくなく、駅舎や記念館など何かしらを残すのでしょう。

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