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2025/02/10

名松線伊勢竹原駅の木造駅舎と「レークサイド君ヶ野」に高校時代の面影を訪ねて

 名松線が不通だった時期に、代行バスで伊勢竹原を再訪しました。(2013年訪問)

 高校時代に鉄道研究部の“南紀合宿”で泊まったのが、伊勢竹原駅から歩いた美杉村「レークサイド君ヶ野」だったのです。ずっと気になっていたのですが、1983年から30年がたつ節目に、ようやく木造駅舎へ再訪する機会をつくれました。

 ところが昨秋2024年10月、伊勢竹原の木造駅舎は解体されたというではありませんか・・・。今となっては、せめて再訪できて良かったと思うしかありません。

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▼家城から乗った名松線代行バスで「竹原」バス停下車。駅からは少し離れていた。もう県道15号の竹原踏切は、遮断桿が取り外されている有様。このまま廃止かと覚悟もしたくらいだった。
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▼なんと伊勢竹原駅舎は残っていた。国鉄時代の30年前とほぼ変わらないような、窓は閉ざされた姿を見て、しばしたたずんだ。当時買ったばかりの「Canon AE-1P」で駅舎の写真を撮ったが、今そのネガはどこかに埋もれている。
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撮影地 三重県津市美杉町竹原

 

 

 

▼戦前からの駅舎は、1980年代でも貴重に感じたものだった。しかし残念ながら2024年10月に解体されたらしい。90歳を迎えることはできなかったとは、モノにも寿命があるとはいえ残念だった。
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▼休止中なのに、駅舎内は誰かが床を清めているようだった。駅舎が無くなったら、寂しい駅になるだろう。鉄道が移動の中心だった時代だからこそ存在できたのが、ローカル線の駅舎なのだろうか。
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▼初訪問時、鉄研メンバーと喜び勇んで降り立ったはずだが、何を話したのかはもう思い出せない。もしスマホがあったらバシャバシャ撮っていたのだろうが、当時は貴重な36枚撮りフィルムを、1日のうち要所要所で使うのが普通だったことを思い出す。
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▼伊勢奥津方面に伸びる線路。廃線を思わせるような鉄橋前後の柵が、将来を不安にさせていた。
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▼でも駅予告標識は立っている。生きている路線だった。6年半も不通期間が続いた後、まさか復活するとは思わなかった。
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▼旧美杉村の谷あいを線路は続く。村の名前が美しかった。伊勢竹原から先は楽しい車窓だったことを思い出す。私自身は当時この南紀合宿で、初めてローカル線の旅を味わった。そんなローカル線が奇跡的に残っているのは、とにかくうれしい。
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▼番外編: 合宿で泊まった君ヶ野ダム湖畔の「レークサイド君ヶ野」も、嬉しいことに建物はそのままだった。ありがとう名松線、ありがとうレークサイド君ヶ野。そして旅の楽しさを教えて頂いた「海老名高校鉄道研究部」メンバー皆様には、本当にありがとうございました。
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撮影地 三重県津市美杉町八手俣

 

 

 

 

 

△カメラ Canon EOS 6D
△レンズ EF24-105mm F4L IS USM

△紀行日 2013/1/2(水)

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▽Webサイト 線路端紀行

 

 

 

 

 

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コメント

お客様がとりわけ少ないことで知られる名松線沿線にて高校生の時に宿泊されたのはとても貴重なご経験ですね。

伊勢竹原駅舎はとても味わい深い駅舎だなぁと思いました。30年ぶりの再訪は感慨もひとしおだったのではないでしょうか。

旧美杉村の景観も息を呑む美しさで、今後とも鉄路を残していってほしいものです。

★MIRUMIRUさん
初訪問は台風が近づくなか出発し、往きの銀河51号が島田駅に6時間45分大停車(笑)した時で、鮮明に記憶に残っています。まだほぼ本州を出たことがない頃でしたので、紀伊半島一周でも大旅行でしたね。

ローカル線の旅をはじめ視野を広げていただいた、海老高鉄研の皆様には本当に感謝するばかりです。

学生時代に乗った、ローカル線がそのまま残っているのは嬉しいですね😃

こんな人里離れた鉄道が残っているのは地元の熱意があったに違いません。
懐かしい日本の風景の中を走る鉄道は、もっと注目しても良いと思います。

★汽車空間さん
国鉄時代からの廃止対象ですから、残っているのはホント奇跡的で、もっと多くの人に味わってほしいですね。

ローカル線の行方に差が出ていますが、全国で名松線や只見線と同じ方向を目指せればうれしいのですが・・・。

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