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2025年2月

2025/02/24

南小谷への直通特急あずさが白馬行に短縮されてまた在来線特急網は縮む

 南小谷(みなみおたり)まで、特急「あずさ」に乗ってきました。(2020年訪問)

 とうとう南小谷直通特急あずさは、3月の改正で白馬止まりになってしまうようです。(2024/12/13発表)

 東京圏への直通列車があることは、地域にとって大きな望みや支えになることは仙台直通「ひたち」復活でも感じました。1本で行けなくなるのは訪問客にとって不便ですし、なんといっても小谷村や地元の方々が残念に思われているのではないでしょうか・・・。

※関連記事 夜行アルプスから降りた白馬駅 大糸線キハ120でかぶりつき

 

 

 

▼特急あずさが松本を出ると、北アルプスや仁科三湖などの車窓に目を奪われるが、白馬から先も迫力があった。
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▼フォッサマグナ地帯の姫川沿いをそそろそろと走っていくのは、特急電車でもスリル感があってたまらなかった。
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▼夜行急行アルプスも終着駅だった南小谷に到着。昔からあった糸魚川直通の夢とは逆に、大糸線はさらにか細くなっていく。
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▼ここから先の列車は、一転して1両の気動車へ。この落差が面白かったが、逆に糸魚川から来た時には9両の新宿行特急を見て安堵したものだった。直通列車の安心感は違う。
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▼スキー・スノボ客は減り、バスで長野に出れば新幹線経由の方が速いのだろうが、直通で行きたい観光客・登山客が不便に感じないだろうか。たとえ先端部は利用者が少ないとしても、全エリアが結ばれていた安心感までもが失われてしまう。
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▼2社3列車が並ぶ光景も見られなくなるが、趣味的な話しは問題ではない。都市部はともかく、最近の鉄道からは直通で「つなぐ」意思を感じにくい。今回特急「しなの」大糸線乗り入れも終わるそうで同様だが、利用者の便利さを手放しているような気がする。
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▼9両の有効長を最大限生かした都内からの直通電車。せめて「富士回遊」のように353系の併解結機能を活かして、短い3両になってもいいから直通で残ったらいいのにと思う。
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▼特急あずさに別れを告げて、大糸線の細道を進む。あずさが短縮されたとしても、大糸線の存続だけは願っていたい。20200321_img_8892s
撮影地 長野県北安曇郡小谷村千国

 

 

 

 

 

△カメラ Canon EOS KissX9
△レンズ EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS USM
△紀行日 2020/3/21(土)

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東根室駅の廃止で「日本最東端有人駅」から「有人」が外れて根室駅は幸せになれるか

 夜行まりもから乗り継いで、根室駅へ再訪しました。(2008年訪問)

 日本最東端の駅といえば東根室でしたが、その常識が書き換えられてしまうダイヤ改正が3月に迫ります。(2024/12/13発表)

 お金には換えられない価値というものもあると思います。東根室といい、抜海といい、直接の利用客が少ないからと皆削いでいったらこの先どうなるのでしょう。もう少し駅や列車など鉄道の存在そのものの魅力、に思いを寄せてもいいような気がします・・・。

※関連記事 思い出の夜行特急まりも さらば石勝線東追分駅 さらば千歳線美々駅

 

 

 

▼夜行「まりも」~快速「はなさき」の連携は便利だった。根室直通まりも復活は高望みだとしても、札幌を夜発って朝8時過ぎに日本最東端(有人駅)へ着くのは、夜行列車があってこそだった。今はなかなか根室へ足を伸ばせられない。
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▼今日も根室は、霧が立ち込めヒンヤリしていた。関東でも薄ら寒い夏の日には、いつもこの根室の夏の空気感を思い出す。
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▼いつ見ても縦横のバランスがいい、国鉄以来の駅名標サイズ。ひと駅手前が、日本最東端の東根室駅。なかには簡素な東根室を見にいく訪問客もいるだろうし、東根室の利用客は少ないとしても回り回って鉄道にお金が落ちていると思うのだが。
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▼根室には当時まだKioskがあった。駅舎内に売店があることが、どんなに有り難く暖かく感じたことか。今ならコンビニでもいい。
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▼北方領土、いや北方四島へ行けるようになったら根室港から連絡船で訪れたい、のをあきらめたくはないが・・・。
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▼釧路から延々と荒野を見てくると、未だにこの本数が維持されていることに、あらためて感激した。
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▼根室本線の終端部。日本の端を訪れるたびに、あらためて鉄道網のことを思う。最近は列車も、制度も、運営も、バラバラになりつつあるが、元国鉄のグループには全国でまとまって「鉄道網」としての運営を続けてほしい。
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▼改正以後、根室駅にとっては晴れて「有人の」が外れるが、それは根室駅にとって幸せだろうか。これで根室本線の存続は確かになるのだろうか。日本には様々な駅があり、色々な人に支えられてきた。拠点を結ぶだけが鉄道ではないだろうし、どうか各地区を結ぶ鉄道のメリットも捨てないでほしいと思う。
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撮影地 北海道根室市光和町

 

 

 

 

 

△カメラ Canon PowerShot S3 IS
△紀行日 2008/8/14(木)

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2025/02/10

仙石線に205系が入った頃103系を見に地下化区間を初訪問

 あおば通の初乗りと、終焉近い103系を見に、仙石線を訪れました。(2003年訪問)

 2000年に仙石線仙台駅が地下化され、地方線区の地下化とはどんなものか早く見たかったのですが、ようやく行けたのは205系の投入が始まった頃でした。

 仙石線は、いよいよ2025年度に新車E131系が走り始めるそうで(2024/12/24発表)、はや205系の時代も終わります。確かにあれからも20年以上がたつのですか…。

※関連記事 仙石線高架駅で205系 仙石線に205系が入った頃(今ここ) 205系が発着する観光地日光 205系も終わる鶴見線 相模線厚木駅の2面1線

 

 

 

▼短距離とはいえ、鉄道路線が伸びるのにはワクワクする。首都圏と変わらない感じが、電車ファンとしても「萌え」だった。
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▼まさか205系をこの地で見られるようになろうとは。案内サインも首都圏と同様で、当時は明るく光っていたのもいい。
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▼まだがんばっていた最北の103系。この車両は何といっても、国鉄型だと211系に始まった幅広ドア窓ガラスが大好きだった。東北地方では719系へ継がれたが、その後が続かない。
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▼激混みの時代も去ったことだし、幅広ドア窓ガラスはもっと広まってほしかった。車内は明るいし、外も良く見える、客思いの設計だった。今でも西の方で見られるのは、やはりお客へのサービス精神の違いであり、細かいところに思想が現れているのだと思う。
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▼いくらフルカラーLEDでも鮮明さでかなわないのは、昔ながらの方向幕。いかにも速そうな、関西で見かけたような、特快を強調した「特別快速」字体もいい。
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▼石巻まで1時間余り、乗りがいのある「国電」の旅は終わる。
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▼鮮やかな「うみかぜ」イメージの塗装と、幅広ドア窓ガラスがいつまでも忘れられない。お疲れさま、さらば仙石線103系。
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撮影地 宮城県石巻市穀町

 

 

 

 

 

△カメラ FUJIFILM FinePix4500
△紀行日 2003/3/9(日)

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名松線伊勢竹原駅の木造駅舎と美杉村「レークサイド君ヶ野」に高校時代の面影を訪ねて

 名松線が不通だった時期に、代行バスで伊勢竹原を再訪しました。(2013年訪問)

 高校時代に鉄道研究部「南紀合宿」で泊まったのが、伊勢竹原駅から歩いた旧美杉村「レークサイド君ヶ野」だったのです。ずっと気になっていたのですが、1983年から30年の節目にようやく木造駅舎へ再訪できました。

 ところが昨秋2024年10月、伊勢竹原の木造駅舎は解体されたというではありませんか・・・。今となっては、せめて再訪できて良かったと思うしかありません。

※関連記事 思い出の寝台急行銀河 夜行列車個人的な興味【③台風接近中でも出発】

 

 

 

▼家城から乗った名松線代行バスで「竹原」バス停下車。駅からは少し離れていた。もう県道15号の竹原踏切は、遮断桿が取り外されている有様。このまま廃止かと覚悟もしたくらいだった。
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▼なんと伊勢竹原駅舎は残っていた。国鉄時代の30年前とほぼ変わらないような、窓は閉ざされた姿を見て、しばしたたずんだ。当時買ったばかりの「Canon AE-1P」で駅舎の写真を撮ったが、今そのネガはどこかに埋もれている。
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撮影地 三重県津市美杉町竹原

 

 

 

▼戦前からの駅舎は、1980年代でも貴重に感じたものだった。しかし残念ながら2024年10月に解体されたらしい。90歳を迎えることはできなかったとは、モノにも寿命があるとはいえ残念だった。
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▼休止中なのに、駅舎内は誰かが床を清めているようだった。駅舎が無くなったら、寂しい駅になるだろう。鉄道が移動の中心だった時代だからこそ存在できたのが、ローカル線の駅舎なのだろうか。
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▼初訪問時、鉄研メンバーと喜び勇んで降り立ったはずだが、何を話したのかはもう思い出せない。もしスマホがあったらバシャバシャ撮っていたのだろうが、当時は貴重な36枚撮りフィルムを、1日のうち要所要所で使うのが普通だったことを思い出す。
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▼伊勢奥津方面に伸びる線路。廃線を思わせるような鉄橋前後の柵が、将来を不安にさせていた。
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▼でも駅予告標識は立っている。生きている路線だった。6年半も不通期間が続いた後、まさか復活するとは思わなかった。
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▼旧美杉村の谷あいを線路は続く。村の名前が美しかった。伊勢竹原から先は楽しい車窓だったことを思い出す。私自身は当時この南紀合宿で、初めてローカル線の旅を味わった。そんなローカル線が奇跡的に残っているのは、とにかくうれしい。
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▼《番外編》 合宿で泊まった君ヶ野ダム湖畔の「レークサイド君ヶ野」も、嬉しいことに建物はそのままだった。ありがとう名松線、ありがとうレークサイド君ヶ野。そして旅の楽しさを教えて頂いた海老名高校鉄道研究部メンバー皆様には、本当にありがとうございました。
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撮影地 三重県津市美杉町八手俣

 

 

 

《2026/2/11追記》 また残念な知らせを見ました。津市「レークサイド君ヶ野」が、昨年12月28日で営業終了となり廃止だそうです。2016年から宿泊施設は休止し、レストランだけだったようです。高校生にも安心して安く泊まれた公共の宿として、1983年夏に思い出がつくれたことには感謝しています。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

△カメラ Canon EOS 6D
△レンズ EF24-105mm F4L IS USM

△紀行日 2013/1/2(水)

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