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2024/09/20

宗谷本線抜海駅で何十年も耐えてきた最北の木造駅舎もこれまでか

 この夏は宗谷本線抜海駅を再訪するため、稚内まで北上しました。(その2)

 先日もNHKニュース「おはよう日本」で稚内支局の記者と首藤アナが、抜海駅廃止を全国に紹介していました。ここまで有名になるのなら、逆にしばらく残った方が北海道にお金は落ちるのではないか、正直そう思ったりします…。

 一部の旅人やファンなど全国からの願いもむなしく、ここ抜海村クトネベツから駅と駅舎が消えていきます。

※関連記事 抜海も廃止か 抜海が廃止の危機に 存続決まった抜海 抜海で稚内行を見送る 残るか兜沼・勇知・抜海 抜海が棒線化 抜海の木造駅舎(今ここ) 稚内市最南勇知駅 兜沼が見える兜沼駅 南幌延の板張りホーム さらば歌内

 

 

 

▼まだ列車交換ができる抜海駅の上下線に、木造駅舎の影が落ちる。
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▼前回の塗装から何年経つのだろう。
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▼華氏のほうが読みやすい温度計。現在摂氏26度か。
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▼よく雪の重みに耐えているもの。たしかに修繕は大変だろう。
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▼暑かった日中の日差しも和らいできた。
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▼以前は冗談半分で土産バッジを見ていたものだが、まさかこの辺りでもとは。
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▼抜海駅は今年めでたく開業百周年。その記念碑は駅構内ではなく道道510号沿いに建った・・・。
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▼地元の方だけではなく、私たち旅人も助けられた駅、思い出が残る駅。お疲れさま、さらば宗谷本線抜海駅。
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撮影地 北海道稚内市抜海村クトネベツ

 

 

 

 

 

△カメラ Canon EOS KissX10
△レンズ EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS USM
△紀行日 2024/8/12(月)

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コメント

「おはよう日本」は見逃してしまったのですが、リンク先のNHK記事を拝読しました。多くの人に愛されてきたのに廃止とは・・・。

長い間厳しい風雪に耐えてきた木造駅舎ですが、解体されてしまうのでしょうか・・・。

★MIRUMIRUさん
ここまで廃止が報道される無人駅も珍しいかもしれませんね。

稚内市の費用負担打ち切りだけが注目されますが、本来は全国規模の鉄道網が維持する範囲のはずで・・・。

その役割を果たして自然に戻るのでしょうか。

今後が気になりますが路線そのものも更にテコ入れが必要ですね😃

★汽車空間さん
無念すぎてもう言葉もでませんが、無人エリアになるのなら自然に戻るのが自然でしょうね。

峠下のように一気にいってほしくないですが・・・。

うーん、もはや情だけでは無理なのか…

★イチローさん
すべてが消え去らないよう、せめて情だけは記録しておこうかと・・・(T_T)

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