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2024/09/20

宗谷本線抜海駅で何十年も耐えてきた最北の木造駅舎もこれまでか(2025年廃止)

 この夏は宗谷本線抜海駅を再訪するため、稚内まで北上しました。(第2回)

 先日もNHKニュース「おはよう日本」で稚内支局の記者と首藤アナが、抜海駅廃止を全国に紹介していました。ここまで有名になるのなら、逆にしばらく残った方が北海道にお金は落ちるのではないか、正直そう思ったりします…。

 一部の旅人やファンなど全国からの願いもむなしく、ここ抜海村クトネベツから駅と駅舎が消えていきます。

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▼まだ列車交換ができる抜海駅の上下線に、木造駅舎の影が落ちる。
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▼前回の塗装から何年経つのだろう。
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▼華氏のほうが読みやすい温度計。現在摂氏26度か。
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▼よく雪の重みに耐えているもの。たしかに修繕は大変だろう。
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▼暑かった日中の日差しも和らいできた。
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▼以前は冗談半分で土産バッジを見ていたものだが、まさかこの辺りでもとは。
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▼抜海駅は今年めでたく開業百周年。その記念碑は駅構内ではなく道道510号沿いに建った・・・。
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▼地元の方だけではなく、私たち旅人も助けられた駅、思い出が残る駅。お疲れさま、さらば宗谷本線抜海駅。
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撮影地 北海道稚内市抜海村クトネベツ

 

 

 

《2025/3/15追記》 昨日で抜海駅は結局廃止になりました。単なるそろばん勘定では廃止になるのでしょう。しかしそれだけで判断して良いものなのか、いろいろ考えさせられました。宗谷本線と沿線はもっとその魅力を広めないともったいない、日本の鉄道網はローカル線や小駅をどこまで維持するのか、日本の限られた赤字予算で鉄道施設へはどう配分するのか、などまで思いは巡りました。

 また痛感したのは、訪問客が旅先で良いと感じても、地元の方々にとってはそうでもない、ということでした。抜海駅なら、おそらく稚内の方々なら何もないボロ駅舎のどこがいいのか、という感覚でしょう。富良野の丘で、見向きもされない一本の木に訪問客は集まる、ことにも似ています。訪問客は観光地や名所だけではなく、無名なシーンにもその地域の魅力を感じることを、もう少し地元の方々に知って頂けたらと感じました。

 最後に、個人的な妄想を書きます。臨時駅「抜海原野」の設置です。「釧路湿原」や「原生花園」臨時駅が名所ど真ん中に出来て、私も早速行きましたが、今も多くの人が訪れるようです。そこで宗谷本線にも、日本海と利尻富士が一望できるあの高台の絶景ポイントに「抜海原野」臨時駅を設けてはいかがでしょうか。今の徐行運転だけではなく、臨時駅設置と「抜海トロッコ」列車の運行で、稚内と宗谷本線の魅力アップに期待できると思います。抜海駅の廃止が、なぜここまで他所の人にも惜しまれ、なぜ全国ニュースにもなったのかを思い起こし、ここで終わってほしくない気がするのです。

 

 

 

 

 

△カメラ Canon EOS KissX10
△レンズ EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS USM
△紀行日 2024/8/12(月)

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コメント

「おはよう日本」は見逃してしまったのですが、リンク先のNHK記事を拝読しました。多くの人に愛されてきたのに廃止とは・・・。

長い間厳しい風雪に耐えてきた木造駅舎ですが、解体されてしまうのでしょうか・・・。

★MIRUMIRUさん
ここまで廃止が報道される無人駅も珍しいかもしれませんね。

稚内市の費用負担打ち切りだけが注目されますが、本来は全国規模の鉄道網が維持する範囲のはずで・・・。

その役割を果たして自然に戻るのでしょうか。

今後が気になりますが路線そのものも更にテコ入れが必要ですね😃

★汽車空間さん
無念すぎてもう言葉もでませんが、無人エリアになるのなら自然に戻るのが自然でしょうね。

峠下のように一気にいってほしくないですが・・・。

うーん、もはや情だけでは無理なのか…

★イチローさん
すべてが消え去らないよう、せめて情だけは記録しておこうかと・・・(T_T)

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