« 留萌本線峠下の木造駅舎は最後まで堂々として(2023年廃止) | トップページ | 山手線最後の踏切駒込-田端間「第二中里踏切」はクルマも通る »

2024/04/21

ここからも夜行列車能登・北陸に接続したのと鉄道比良駅(2005年廃止)

 穴水から能登線最初の交換駅、「のと鉄道」比良駅を訪れました。(2004年訪問)

 2024年元旦の能登半島地震で不通だった残るのと鉄道ですが、4月6日に運行再開できたようでまずは良かったです。

 まずは能登半島復興のきっかけを喜ぶともに、今後の石川県内の鉄道網の末永い存続を祈るばかりです。

※関連記事 中居から七尾北湾遠望 夜行に接続した比良 水田谷戸の鹿波 能登線の終着蛸島

 

 

 

▼蛸島方面から13:49発穴水行が現れた。こうして見ると、のと鉄道車両の塗装はバランスとれた配色が良かった。20040501_img_1016s

 

 

 

▼三セク「のと鉄道」化後にせっかく交換駅になったのに、10年余りで消えてしまうとは…。
20040501_img_1030s

 

 

 

▼生活には最低限の本数だが、まだ究極の少なさではなかった。接続列車欄で興味深いのが、最終19時44分発穴水行の接続として、津幡乗換で上野行夜行列車「能登」「北陸」が書かれていること。特急大阪行の記載は当然としても、上野へ乗り継ぐ人はいただろうか。20時前にこのホームから乗れば、翌朝上野へ着けた。かつては当然だったが、全国鉄道網だった在来線の役割がわかるよう。20040501_img_1024s

 

 

 

▼比良駅前には「石田酒店」が一軒。駅めぐりには1年で最もいい気候、夏に向けてのこの明るさがいい。
20040501_img_1025s

 

 

 

▼少し前までは公衆電話の場所が大事な情報だったが、あっという間にその感覚は薄れつつある。
20040501_img_1023s

 

 

 

▼開業当初は貨物を扱っただろうか、それとも保線用か。側線のわきで八重桜が盛りを迎えていた。
20040501_img_1012s

 

 

 

▼最終期は1日2回、比良で列車交換。人を乗せるための専用の土地と施設は、利用者に安心感を与えていただろう。
20040501_img_1019ss

 

 

 

▼新緑も素晴らしい能登半島を走っていたローカル線があった。お疲れさま能登線、さらば比良駅。
20040501_img_1021s
撮影地 石川県鳳珠郡穴水町比良

 

 

 

 

 

△カメラ Canon PowerShot S1 IS
△紀行日 2004/5/1(土)

鉄道コム にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ

▽Webサイト 線路端紀行

 

 

 

 

 

« 留萌本線峠下の木造駅舎は最後まで堂々として(2023年廃止) | トップページ | 山手線最後の踏切駒込-田端間「第二中里踏切」はクルマも通る »

15_中部」カテゴリの記事

コメント

まずは七尾線が運行を再開できてよかったですね。

のと鉄道の車両のこの塗装は落ち着いた配色で私も印象に残っていました。
比良駅は駅前商店と集落もあるようで、なかなか立派な駅だったんですね。

★MIRUMIRUさん
今回グーグルマップには驚きました。今やストリートビューは旧比良駅前のような小道にまで入っていて。

ただ、現在を見られるのは素晴らしいのですが、キンチョール看板の駅前商店は草生しているようで・・・。

駅前の何とも言えない牧歌的な風景は日本の鉄道の象徴のようです。

しかし厳しいローカル線の問題も象徴しているようです。

悩ましい問題ですが美しい風景の中に難しい問題があることを理解しなければなりません。

★汽車空間さん
今日のニュースで「消滅可能性自治体」マップを見ると、七尾から先能登半島はすべて該当するようですね。

西暦2100年、6300万人になる日本では(政府中位推計)、どんな鉄道マップになっていることやら・・・。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 留萌本線峠下の木造駅舎は最後まで堂々として(2023年廃止) | トップページ | 山手線最後の踏切駒込-田端間「第二中里踏切」はクルマも通る »

フォト
無料ブログはココログ