小田急シモキタ地上線は下北線路街へ(1) 東北沢~下北沢
下北線路街のまちびらき「下北線路祭」を見てきました。
シモキタ地上線の地下化からはや9年、小田急線は地下にもぐり、線路跡は遊歩道になり、下北沢の街は雰囲気が変わったようです。
遊歩道を歩いていると、下北沢にとって小田急線は地下化されて正解だったのかもしれないと思いました。鉄道ファンとしては高架化を推していたので、少しくやしいけれど。。
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▼東北沢駅の新宿寄りからは、新ルートを降りていく羽田への旅客機が頻繁に見えて、新鮮だった。小田急線では、新宿駅と代々木八幡駅付近の上空が飛行ルートらしく、たしかに2列で飛んでいくこともあった。
撮影地 東京都渋谷区上原
▼地上線だった頃も、線路端にこんな黄色い花が咲いていた気もするが、違う種だろう。
▼「踏切注意!」は「遊歩道あり!」へ。もう汽車マーク標識はどこにも無い。
▼遊歩道にかろうじて残ったレール。これを見て、何人の人が地上線を思い出してくれるだろう。
▼ひっきりなしに東北沢6号踏切の警報音と電車の音が聞こえていた、オオゼキ下北沢店前。
▼「小田急線跡地」というと廃線のようにも見えるので、他の表現の方がいいような・・・。
▼かつての線路敷きを多くの人が行き交うのを見て、まさに感無量。このまま「空き地」には残ってほしい気もする。
▼現代の小田急線下北沢駅。混雑は以前と変わらないが、狭かったあの橋上駅舎の面影はまったく無かった。
△カメラ Canon EOS KissX9
△レンズ EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS USM
△紀行日 2022/5/29(日)
▽Webサイト 線路端紀行
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コメント
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下北沢駅付近の地下化からはや9年になるのですね。
地下化以前の面影はあまり残っていないようですが、7枚目のお写真は、地上線時代の景観がよみがえってくる感じで、胸が熱くなりました。
「踏切注意!」が「遊歩道あり!」に変わっているのを拝見して、一抹の寂しさを感じましたが、遊歩道のベンチのレールの肘掛けは、いいなぁと思いました。
「小田急線跡地」という表記は、「地下化以前の小田急線跡地」などにしていただきたいですね。
投稿: MIRUMIRU | 2022/06/12 05:54
★MIRUMIRUさん
複線の線路が地上から消えたのは、街の景観としても音の風景としてもインパクトがありました。
以前の相鉄線大和地下化では遊歩道だけでしたが、下北沢が線路街に構築出来たのは地下線の構造物も考慮しているんでしょうね。
投稿: ひょうたん山@管理人 | 2022/06/12 15:55
列車が走る姿が見えないのは寂しいですが、町の発展には
必要な開発だったのでしょう。
後世の人達に、ここに列車が走っていたことが伝わっていく
ことを切に願います。
投稿: 汽車空間 | 2022/06/14 15:33
★汽車空間さん
もし小田急線と井の頭線の開通順序が逆だったら、小田急線は地下にはもぐらなかったのかも・・・。
それはともかく、井の頭線が同じ高さのまま残るので、街を歩いても方向感覚を失わずにすむ感じです。
投稿: ひょうたん山@管理人 | 2022/06/14 22:51