経堂ジョイフル閉店の頃の小田急経堂検車区跡地
閉店前の経堂ジョイフルへ最後に行った日、小田急経堂検車区の跡地も巡ってきました。(2008年訪問)
検車区は不動のイメージがあり、移転は想像できませんでした。経堂の地平から電車が消え、移転先の喜多見では公園に覆われました。騒音対策とはいえ、街を支える電車が見えづらくなるのは、少し寂しい気もします…。
関係ないことですが、2011年10月ココログに開設した『線路端紀行あとがき』は、最初の独自記事が「さらば経堂ジョイフル」でした。いつの間にかの10周年には大変感謝するところで、記念に続編としてこの記事を書こうと思います。
※関連記事 さらば経堂ジョイフル 続・さらば経堂ジョイフル ようこそ経堂コルティ
▼とうとう経堂ジョイフルが閉店になるというので、最後に訪れた。
▼当たり前だったものも、いつかは無くなる。改めてそう思わせた経堂ジョイフルと経堂アパート。
▼整備中だった駅前広場では、もうジョイフルが捨てられていた…。
▼豪徳寺寄りを見ると、経堂検車区跡地の再整備が始まっているようだった。
▼小田急厚生会館だった建物は、診療所と労働会館が入っていたが、いつまで残ることやら。
▼海側の小田急社宅跡地。検車区もなくなり、経堂に残す必要性は減ったのかも。
▼通常人は入らないだろう経堂変電所にも、メロディマーク付き呼び鈴が。
▼経堂検車区跡地に出来た由緒ある高架留置線で、ステンレス車が休む。
▼かつてSE車などが休んでいた建屋の奥付近。まさに、つわものどもが夢の跡。
▼小田急箱根高速バスの車庫は以前経堂-千歳船橋間で見かけたが、いつ移ったのだろう。
▼1994年の小田急経堂検車区廃止後、何になっていたのか記憶が定かではない。
▼再び経堂駅前に戻ってきた。それにしても、小田急経堂アパートとジョイフルは街のランドマークだった。ありがとう、経堂ジョイフル。さらば、経堂ジョイフル。
撮影地 東京都世田谷区宮坂3丁目
△カメラ Canon PowerShot S3
△紀行日 2008/3/23(日)
▽Webサイト 線路端紀行
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コメント
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ブログ開設10周年、おめでとうございます!
すっかり更地になって、ロマンスカーの基地だった経堂検車区の面影はもはやありませんね。
それでも、駅の顔だったジョイフルとアパートの写真を見ると、やっぱりここは経堂だなぁと感じます。
ジョイフルは、最後まで残っていたんですね。
そういえば、教習車の1400形が留置されていたことも、懐かしい思い出です。
投稿: MIRUMIRU | 2021/12/25 10:30
地図の出版社に勤めていて、こういう感じの場所は沢山みました。
日常的な風景が無くなるのが寂しいですが町の発展を思うと、こういう
事も歴史の一ページを飾るものだと思います。
最初に行った時は高架の工事をしていました。
投稿: 汽車空間 | 2021/12/25 12:35
★MIRUMIRUさん
ありがとうございます。
こうして記録していると、あらためて10年ひと昔を実感することができ、それはメリットに感じます。。
そうそう、1400形のことをすっかり忘れていました。一時期海老名にも荷電が留置されていましたね。
投稿: ひょうたん山@管理人 | 2021/12/25 16:44
★汽車空間さん
やはり近郊区間の駅チカに車両基地を残しておくのは、もったいないと判断されたのでしょうか。
名残りである経堂行と経堂始発の電車は、長らく残ってほしい気がします。
投稿: ひょうたん山@管理人 | 2021/12/25 16:47