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2020年4月

2020/04/18

さらば江差線江差駅、最終日は大にぎわい(2014年廃止)

 江差線が廃止になるというので、最終日に江差駅を訪れました。

 あれから6年、GWに訪れようと思っていた札沼線新十津川駅が、昨日2020年4月17日で思いがけず営業終了してしまいましたが、普段の環境がいかに大事かという当たり前のことを改めて感じます。ここでは江差駅の最終日を思い出してみましょう。

 かつて廃線などの最終日にはあまり行かなかったのですが、「横軽」や「東急桜木町」の最終列車を見送ってからは少し気持ちが変わりました。やはり地元利用者の気持ちが直接感じられ、長い歴史を閉じる日を見届けるのも悪くないなと思い始めたのです。

※関連記事 松前線も江差線も去った木古内駅に新幹線がやって来た

 

 

 

▼江差線の終端部。中心市街地の手前にあり住宅エリアだった。目の前の駅を何人が使っていただろう。
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撮影地 北海道檜山郡江差町陣屋町

 

 

 

▼函館6:53発江差行の列車から降り立つと、「ありがとう・さようなら江差線」歓迎の人の波が迎えてくれた。
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▼ヘッドマークがお別れムードを高めていた。北海道新幹線開業まで廃止にはならないと思っていたが。。
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▼終着駅が棒線化されてもう長いのだろう。貨物などを扱っていた痕跡は感じられない。
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▼駅前には松寳丸 も出てお祭りムードで、人出が多かった。もう過去を振り返っても仕方がない、最終日を楽しもう。
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▼松前線廃止時には、江差線の存続をうらやましがったものだった。しかし今や旧支庁所在地からはじめて鉄道が撤退してしまう。
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▼ブームとなっていたゆるキャラがここでも登場。右の方は江差町の「しげっち」、左の方は??
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▼またひとつ日本の終着駅が消えてゆく。お疲れさま江差線江差駅、さらば江差線江差駅。
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△カメラ Canon EOS 6D
△レンズ EF24-105mm f/4L IS USM
△紀行日 2014/5/11(日)

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宗谷本線抜海駅も廃止になってしまうのか

 とうとう宗谷本線抜海駅も2021年3月の廃止対象になり、かなりショックです。

 抜海駅といえば、南稚内から利尻富士撮影ポイントを通って抜海まで歩いたり、駅近くの牧場民家でバーベキューに誘われたり、夏には夜を明かしたり、本当に思い出深い駅です。牧場や原野のまっただ中に木造駅舎が残る無人の交換駅、道内でも最も北海道らしい駅だと思っていました。

 日本鉄道遺産にでも指定されて残ってほしいところですが、信じられないことに地元自治体は抜海集落へ廃止を勧めているようです。抜海の宿「ばっかす」サイトで読んだ情報です。私たち道外からの旅人からすれば、宗谷本線で稚内を訪れるのは抜海や勇知など途中に小さな駅があってこそ意味があります。観光客で、途中にある無名の原野や牧場を見ることなしに稚内市街や宗谷岬だけを見にくる人はまれだと思いますが、それと同じです。宗谷本線を残すにはやむを得ない、と考えるのはムリがあるのではないでしょうか・・・。

 抜海駅2004年の思い出から、少しでも抜海駅の魅力が伝わればうれしいです。そしてなんとか存続してほしいものです。

※関連記事 抜海も廃止か(今ここ) 抜海が廃止の危機に 存続決まった抜海 抜海で稚内行を見送る 残るか兜沼・勇知・抜海 抜海が棒線化 抜海の木造駅舎 稚内市最南勇知駅 兜沼が見える兜沼駅 南幌延の板張りホーム さらば歌内

 

 

 

▼牧場や原野のなかに突然踏切が。こんなところで遭遇すると、線路は日本隅々にまでに巡らされていることを改めて感じる。
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▼踏切から南側を見ると遠方信号機があり、抜海駅は近そうだ。最果てのこの地にも線路が通り駅があり人が住むのだなぁ、と訪れた誰しもが心を打たれるはず。
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▼宗谷本線抜海駅は、今日も変わらない姿のようだった。現在時刻は15:16。次の稚内行は16:22、次の名寄行は17:37。他に誰もいないので、地方線区ならではのゆったりとした時間を一人占めできた。都会ではつくりようのない豊かな時を。
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撮影地 北海道稚内市抜海村クトネベツ

 

 

 

▼相対式ホームを持つ交換駅の原型をみるかのよう。道内では1980年代から廃線・廃駅が続いている。今まで駅の廃止をいくつ見送ってきたことだろう、この流れがいつまで続くのだろう。鉄道会社だけでは解決できないし、先が見通せないのがつらい。
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▼下り夜行急行利尻で通過するときには必ず抜海駅を注視し、いよいよ迫る宗谷本線クライマックス区間から見える利尻富士に期待したものだった。いくつも通り過ぎた小駅はここが最後、長かった最北への旅ももうすぐ幕を閉じる。
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▼構内踏切で鳴る「ナーンナーンナーンナーン」に地方線区を感じる。自分の場合この音の原体験は相鉄線なのだが、そのうち寂寥感のイメージが強くなっていった。
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▼交換可能な列車の有効長はかなりあるよう。廃駅後も交換できる信号場として残るのかもしれないが、それでは時刻表から消えてしまう。地元の方々が考える以上に、全国各地からこの駅のことを想っている人は多いと思う。
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▼この頃も駅近くの民家は数軒だった。確かに利用者は少ないだろうが、無人地帯ではないし全国から訪れる人もいる。もはや北海道の鉄道は、地域輸送はあきらめ訪問者からも門戸を閉ざすのだろうか。私たち道外からの訪問者には、「何もない所だから行かない」のではなく「何もない所(のように見えるだけ…)だから行く」旅もあることを少しだけ分かってほしい・・・。
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《追記》 抜海駅は2021年3月以降も存続することが、2020年12月9日に発表された!祝!

《2023/7/15追記》 稚内市は抜海駅を2025年3月迄に廃止、することが報道された!悲!

 

 

 

 

 

△カメラ Canon PowerShot S1 IS
△紀行日 2004/8/11(水)

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2020/04/05

富山市内環状線セントラム開業後始めての春

 富山市内に開業したセントラムに乗ってきました。(2010年訪問)

 この3月に富山の路面電車が南北に直通しましたが、富山ライトレール開業は2006年、セントラム開業は2009年12月だったので、15年にわたる大事業だったことになります。

 残念だった岐阜市とは対照的に、路面電車を発展させた富山市には注目していていました。新線開業した路面電車にわくわくし、今後日本各地でのLRT延伸を期待したものでした。

※関連記事 富山で南北接続 祝!宇都宮ライトレール 福井駅高架ホーム 期待ふくらむ富山駅 北陸新幹線あと111日! 旧塗装交直流急行型475系

 

 

 

▼ついに環状線セントラム開業、新たに敷かれたレールにわくわくする。
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撮影地 富山県富山市丸の内3丁目

 

 

 

▼富山城とセントラムの組み合わせにわくわくする。こんな中心地に路面電車が復活するなんて夢のよう。
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▼国際会議場前にて。トランジットモールをも連想させる道にわくわくする。
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▼総曲輪(そうがわ)商店街でも「祝セントラム開業!」。活気が戻ってほしい。
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▼安全で斬新な「大手モール」停留場にわくわくする。これなら気軽に乗りたくなる。
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▼それとなくデザインされた架線ビームにもわくわくする。
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▼「大和」富山店前を通るセントラム。まさに富山の中心平和通りをゆく路面電車にわくわくする。
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▼グランドプラザ前にて。にぎわう街への仕掛けづくりにわくわくする。セントラムと富山中心市街の今後の活況を祈りたい。
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△カメラ Canon EOS Kiss X3
△レンズ EF-S15-85mm f/3.5-5.6 IS USM
△紀行日 2010/3/22(月)

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2020/04/04

地下化工事たけなわだった世田谷代田駅2010年春

 人出が減った春を見に行きたいという気持ちを抑えて、10年前の春を思い出してみましょう。

 10年前の世田谷代田は、地下化工事がたけなわでした。街中には桜が咲いて春を感じられ、まだ地上線を撮り歩く楽しみがありました。

 地下化工事には10年を要すると聞いて、そんな先のことなど考えにくかったのですが・・・。

※関連記事 下北線路街(1) 東北沢~下北沢 下北線路街(2) 下北沢~世田谷代田  泣いても笑ってもシモキタ地上線あと5日 今年も春が咲いてきた世田谷代田駅近く 高架化迫る京王線明大前~下高井戸

 

 

 

▼世田谷代田駅は、線路が海側にズレて仮設ホームとなっていた。もう木造ベンチは見られない。
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撮影地 東京都世田谷区代田2丁目

 

 

 

▼ホームからは梅ヶ丘から登ってくる電車が見えた。オーバークロスする環7を今度はくぐるのだから、相当な高低差になる。
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▼とにかくひっきりなしに踏切が降りていた駅前踏切。線路直上はシールド工事の建物だったか。
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▼世田谷代田から梅ヶ丘まで、これが地上時代最後の線形となるか。工事中は徐行が続いて乗客ももどかしかったのを思い出す。
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▼「シールド区間開始」とは、地上線にとって何のための表示だろう。当時は二層になる地下線の想像がつかなかった。
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▼仮設ホームだけに屋根がないところもあった。利用者にとっては我慢の10年だったろう。でも地下化後も長い上り下りが・・・。
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▼線路が海側に移設されて生み出された土地は工事エリアとなっていた。地上複々線も想定していた土地取得が利いたのかも。
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▼下北沢側の踏切にて。今はこの踏切も千代田線6000系も姿を消してしまった。また訪れて今昔写真を撮ってみたいと思う。
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△カメラ Canon PowerShot SX10 IS
△紀行日 2010/3/27(土)

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